さて、最低限、サバイバルに必要なことを話せるようになりました。
では次は?
サバイバル以上のことを話せるようになりたいかどうか、です。
何かうれしいことがあったとき、とても感動したとき、驚いたとき、悲しいことがあったとき、憤ることがあったとき……私たちは誰かに聞いて欲しい、またそれを教えてもらいたい。誰かと気持ちを共有したい。それが人間らしいコミュニケーションでしょう。「ちょっと聞いて!」「あのね、」
それを英語でしたいか、どうか、です。
これは、海外に居たとしても、かなり意識的にする必要があります。わたしがバンクーバーに1年間語学留学した頃は、バブルの頃で、語学学校に日本人が「わんさか」いました。このとき、日本人同士で日本語を話してしまうと、もう歯止めが効きません。せっかく大枚叩いて行ってるのに、「英語が必要無い」状態になってしまいます。話せるようになる、と、心に決めたら、ここで一つのコミットメントをしなくちゃいけません。
「日本人がいても英語で話す」
最初は少し勇気がいりますが、これが日常化すれば、他の英語スピーカーを疎外しないので、自然に多文化な友人関係になっていきます。一部の日本語を話したがる日本人とは疎遠になりますが、それで良しとしました。自分の目的が何かをはっきりさせないと、虻蜂取らずになるからです。
よくわたしは、「あれ、日本人だったの?台湾人だと思った」と、言われました。日本語を話さないからでしょう。香港人じゃないんだって。台湾人に見えるらしいです。
そのうち、おつきあいする日本人は、同じコミットをしている人たちになってくるので、日本人しかいないときは、日本語でも、もちろん話しました。場合によります。でも、特に最初のうちは、なるべく日本語は使わないようにしました。例えば食事に行くのでも、日本人だけとは行かずにそこに他の言語の人も誘う。そうすればその人に失礼なので英語で話します。
結局、わたしが一番仲良くなったのは、メキシコ人の女性でした。今でも交流があります。興味深いことに、日本人や韓国人は、メキシコ人とすごく気が合う場合が多いのです。なんとなく顔が似ているので安心するのかもしれません。
わたしの居たホームステイ先には下宿人が3人いて、その中に日本人が居ましたが、日本語禁止令が出ていたので、それを理由に家の中では日本語は、話しませんでした。後から住んだ人は、コミットしている人だったので、彼女は最初こそ全然話せませんでしたが、めきめき話せるようになっていきました。
コミットせずに「行けばなんとかなる」と、全然英語ができない状態で来た人の多くは、孤独感にさいなまれて、ずるずると日本人オンリーの友人関係を作り上げてしまい、「英語必要ない」状態になり、全然話せないまま帰る、というパターンになりがちでした。ですから「英語を上達させる」という目的で行くのであれば、ある程度、日本で準備していく、そして、気持ちを強く持つ必要があります。
でも別に英語を話せるようになるかどうかは、自分にとってそんなに大事なことではない、楽しく異郷の地で異邦人として楽しむんだ、という場合は、そのまま帰ってきたって、それはそれでOKでしょう。
ぜんぜん日本人がいないところにいくのであれば、コミットなんか必要ないのですが、今時、英語圏のある程度の規模の都市で、そんなところは、ないでしょう。相当な田舎であれば可能かもしれませんが、メンタル的に厳しいでしょうね……。大都市の方が雑多に人がいるので、異邦人には気が楽です。これは個人的な印象とか好みかもしれませんが。
でもこれは海外にいるときの話ですよね。
では、日本ではどうするか。
つづく。
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