ニュージーランドの歴史は新しく、英文のWikiによれば、1280年頃最初のポリネシアンが住んでいるのが確認されている、とあります。
History of New Zealand – Wikipedia, the free encyclopedia
1642年にオランダの冒険家、Aber Tasmanが、ゴールデン・ベイに錨をおろすものの、マオリの攻撃を受けて上陸はせず、地図に場所を示します。
それから100年以上たって、1769〜1770年にイギリス海軍の船長、James Cookがこの地に上陸し、その後も訪れます。
アメリカの捕鯨船や、フランス商船もこの地を訪れますが、1839年には、大英帝国の植民地化を進めるため、New Zealand Companyが現地に設立されます。
1840年2月6日にthe Treaty of Watangi (ワタンギ条約)が締結されました。大英帝国と40人以上のマオリの酋長、最終的には、事情の良く飲み込めていないマオリ500人以上の間で、サインが交わされたとされ、その内容は、英語で書かれていたものと、現地の言葉で書かれていたものが違っていました。
この条約締結により、マオリから大英帝国に統治権が移り、マオリは、大英帝国市民となり、大英帝国政府、またはその代理人以外との、土地の自由な売買ができなくなりました。
1861年Otago(島の南東部)で、金が見つかり、ゴールド・ラッシュが始まります。Otagoの金鉱が枯れかかったころ、1865年にWestland(ウェスト・コースト)で金が見つかります。
1860年代〜1870年代、マオリと大英帝国の間で戦争が続きますが、主な戦場は北島で、この物語の主な舞台である南島は、マオリの人口も少なかったため、この戦争の影響をほとんど受けず、Dunidenは、国で最も豊かな街になります。
このゴールド・ラッシュで、世界中から人が集まり、1859年には71,000人だったNZの人口は、1863年には164,000と二倍以上に膨らみます。
そして、このニュージーランドのゴールドブームも、1870年には終わりを迎えます。前のページでも触れましたが、この物語は、1866年、Otagoの金が枯れ、次が見つかって、これから盛り上がろうとするHokitikaの街が舞台です。
The Luminariesは、ホテルの喫煙室に12人の男達が集っているところにイギリスから来た若いMoodyが入っていくところから始まりますが、その人種はバラエティーに富んでいます。もちろんイギリス系が多いのですが、マオリ、中国人、アイルランド人、フランス人、ユダヤ人が居ます。
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その他の時代背景
【早い時期のフェミニズム運動】
1893年に女性が選挙権を得るかなり前、1860年代には、既にミドル・クラスの女性たちがメディアで女性の奴隷制からの解放を訴えています。
人口が増えたと言っても、家族での移民ではなく、多くは一人で金の採掘に来てしまう男性なので、物語でも、女性の数が極端に少なく、売春を強いられる様子が描かれます。
【アヘン戦争】
1840年から2年間、大英帝国と清の間でアヘン戦争がありました。清の大敗で終戦。(First Opium War)
イギリスは当時、中国から主に陶器、絹、お茶を大量に輸入していましたが、当時の貨幣であった銀の支払いを押さえるために、当時植民地であったインドで作ったアヘンを違法に流して、それを支払いの代わりにしていました。もちろん、国民が壊れて行くのを見かねた清は、イギリスに戦いを挑みますが、産業革命(1760~1830)後、近代化したイギリスの武器の前に破れます。
当時、アヘンと言えば中国、中国といえばアヘン、という世界の共通認識が、この物語の中にも登場します。
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ご参考まで
【カリフォルニアのゴールド・ラッシュ】
1848年〜1855年
Otagoで金が見つかる6年前に終っています。カリフォルニアからOtagoへ流れてきた採掘者も登場します。
【The Piano (1993)】(映画)
邦題は、『ピアノ・レッスン』。1993年の作品です。1850年代のニュージーランドが舞台なので、当時の人々の風俗を知る参考になるでしょう。大自然の中でヴィクトリアンな服を着ています。
【マンガで見るドレスの年代変遷】
上空35.600フィート ヴィクトリア朝ドレスの遍歴 まとめ
ドレスも物語の大事な小道具です。
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