続きです。
キリストにキスをして、「この人です」と教えようとするユダと、連れていこうとする兵士を描いた絵なのですが、こちらは、キリストが、驚いちゃってます。
「え、なに?なんなの?うわあ」って手を広げてる。あたふたしてます。
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そして、こちら、カラヴァッジョ。周りは騒然としています。それに比して、イエスだけが静かです。もう事態を受け入れてます。もう知っていたのです。こうなることを。手の表情がそれを表し、語っています。ユダはキスするイエスを見ていません。何を見ているのでしょう?他の弟子たち?
画面の躍動感と広がり、そしてイエスの静けさが、上の絵と比べて際立ちます。
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エッケ・ホモ。
こちらもそう。チゴリのイエスの表情は、苦痛、苦悶。これから磔刑なのですが、
「もうやだ……なんでこんな目に……。ああ……。」
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そして、こちら。カラヴァッジョ。
イエスは、全てを受け入れた静かな表情。全く揺るぎがありません。服を脱がされた身体の白さに比べて、顔と手は、陽に焼けている。イエスが戸外に多くいて、活動していたことまで表現されています。
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鞭で打たれた後、磔刑になるフツーの人の態度なら、上記のチゴリ(カルディ)の方が写実的です。でも、なんたって神の子ですから、フツーの人じゃありません。ゲッセマネの祈りの後、覚悟を決め、運命を受け入れてなくては……。
と、わたしが書くと、なんだかマンガチックになってしまうのですが、こういう視点は、やはりアンドリュー先生の講座を受けてから身につけたものです。
過去記事で、こんなのもあります。
カラヴァッジョに終始してますが、たまたまです。たぶん、わたしが、彼の思いっきりの良い光と影の表現に惹かれるのでしょう。胆汁質が強いところに、共感しちゃうのかもしれません。
こんな視点に興味をもたれた方は、こちらも御覧ください。
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