11月に行われたアンドリュー・ウォルパート氏のワークショップの内容のまとめがこちらに未掲載でした。
WSの翌日、忘れないうちに!と、ざっと備忘録的にまとめたものに若干、補足しました。*1
Who Do I Want to Be?
LGBTQAI*2のなかでも、特に T(トランスジェンダー)Q(クエスチョン)A(アセックス)の人たちに顕著な、ジェンダー流動性、ジェンダー・ディスフォリア(違和感)に「自分は何者か?」という問いを見い出し、人類の壮大な発達段階の中で、レムリア期(前アトランティス期)から、遠い未来への間に生きる人類のパイオニアとして、TQAのような人たちが現れてきているという仮説。
シュタイナー曰く、遠い未来、人類は、咽頭による無性生殖が行われる。
こうした現象をとらえるときに気をつけるべき3つの危険性。
一つは、「ああ、いいんじゃないですか、どんなふうでも」というフワフワとしたすべてを曖昧なまま、肯定しようとするありかた。ルシファー的な危険性。
二つ目は、教条主義的(ドグマティック)に、男は男らしくあるべき、女は、女らしくあるべき、また、アントロ的に陥りがちなドグマとしては、「自分でその体を選んで生まれてきたのだから、その運命、カルマを享受すべき」という、固執した考え方。アーリマニックな危険性。
三つ目は、生まれ変わる不死の自己(アイデンティティ)とパーソナリティ(ペルソナ)を混同すること。本来、不死の自己(アイデンティティ)は性を持たないが、アイデンティティと性を同一化して考えること。アーシュラ的な(自我を攻撃する存在)危険性。
上記から、ルシファー的誘惑(過去を懐かしむ誘惑)と、アーリマン的誘惑(未来へ急ぎすぎる誘惑)に負けず、迷いつつ、ぶれつつ、常に中道の道を探しながら、「わたしたちが未だ成りえていない人間」へ、いかに意志を持って「あるべき人間」になろうと格闘しながらその道を歩いていこうとするかが、現代に生きる私たちの課題、ひいてはアーシュラへの対抗する力になるのではないか、という内容だったと記憶しています。
ここまでで小グループに分かれ、内容の振り返り、その後、自分の感想を述べ合う時間。
その後、人体学的な摂取器官と話す器官、排出器官と生殖器官の物理的な位置の近さに触れ、なぜ、そのような位置関係になっているのか、という問いをたてました。そこから、それぞれ、ロゴスの邂逅(communion of Logos)とエロスの邂逅(communion of Eros)の特性を考えました。
邂逅、communion とは、相手との出会いであるが、その出会いの結果、そこに何か創造される、真の出会いのこと。
エロスの邂逅には、ある程度予測可能なお互いの自己確認の結果、何か(次世代)が生まれてくる。現代のエロスの邂逅は、古代のエロスの邂逅よりもはるかに自己中心的なものである。
ロゴスの邂逅においては、相手からも、また、自分からさえも、予期不能な言葉が発せられることがある。だからこそ、そこに新たなものが生まれてくる可能性、多段階における創造性がある。また、この邂逅においては、いかにセルフレスネス(無私)の態度をとれるかが、問われている。
LGBTQAIといった現象を、私たちが「未だ成りえていない人間」から、「あるべき人間になろうとする」人類のあり方という大きな文脈の中でアントロポゾフィー的観点からとらえようという試み、unfinished thought、とのことでした。
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今回は、20人ほどの方にご参加いただきましたが、英語と日本語、両方使う方が3/4くらいの割合でいらっしゃいましたので、最後の質疑応答や、感想などは、まず英語で、その後、ご自分で日本語で話すという感じでした。
ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。また興味を持っていただきながらご参加かなわなかった皆様、次回をお楽しみに。
2018年の夏のロンドンの講座は、シェイクスピアです。また詳しいことがわかりましたらこのブログ、えいごのいずみホームページ、フェイスブック、ツイッターなどでお知らせいたします。
ご本人はあまりお好きでない写真。眩しそうな顔がかっこいいと思ってらっしゃるようですが、実はこんな顔の方が多い、ブラックジョークの好きな心のあったかい人です。
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